小学校の時、菊花賞をグリーングラスが勝利したレースをテレビ中継で見て騎手を志し、中学校から乗馬を始める。
1987年に美浦の矢野進厩舎所属でデビュー。同期に武豊・塩村克己(引退)・合谷喜壮(引退)らがいる。デビュー初年度30勝を挙げ民放競馬記者クラブの関東新人騎手賞を獲得
重賞初勝利は1992年のフェブラリーハンデキャップのラシアンゴールド。ラシアンゴールドとのコンビで当時は中央交流競走の1つだった帝王賞も制する。
1995年は七夕賞、中山記念を制していたフジヤマケンザンとのコンビで香港国際カップ(現在の香港カップ)に勝利した。
1996年にバブルガムフェローとのコンビで天皇賞(秋)を制し、初めてのGI制覇となる。この時の騎乗は、同馬の主戦騎手であった岡部幸雄がタイキブリザードとのコンビでブリーダーズカップクラシックに出走する事による代打騎乗であった。
1998年にエルコンドルパサーとのコンビでジャパンカップを制覇。自身2つめのGIタイトルを獲得。このコンビで翌1999年、フランスのサンクルー大賞を制し、凱旋門賞でも2着に入る。またウメノファイバーとのコンビで優駿牝馬(オークス)、エアジハードとのコンビで安田記念、マイルチャンピオンシップを制した。
2000年にはアメリカ合衆国の東海岸地方への遠征を敢行。一方でファストフレンドに騎乗するため帰国し、帝王賞や東京大賞典を制した。
2001年にはトロットスターで高松宮記念、スプリンターズステークスを制覇。さらにマンハッタンカフェで菊花賞や有馬記念を制し、また133勝を挙げて最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手の2冠を獲得した。翌2002年にはマンハッタンカフェとのコンビで天皇賞(春)を制した。
中央GIタイトルは2002年のトウカイポイント(マイルチャンピオンシップ)以来勝ち星を挙げていなかったが、2006年12月10日の朝日杯フューチュリティステークスでドリームジャーニーの勝利で挙げた。
12月22日には自身6度目となる中央競馬年間100勝を達成した。なおこれはこの年9人目の達成となり、年間100勝を達成した人数の史上最多記録となった。12月23日の有馬記念をマツリダゴッホ鞍上で勝利し、マンハッタンカフェ以来2回目の勝利を飾った。
2009年12月13日の第61回阪神ジュベナイルフィリーズをアパパネで優勝し、JRAのGI競走通算14勝目を挙げた。
2010年3月20日の中京第1競走・3歳未勝利にはバイブレイションズで1着となり、JRA史上7人目、現役では4人目となる通算1800勝を達成すると、4月11日の桜花賞をアパパネで優勝し、JRAのGI競走通算15勝目となった。なお、関東所属騎手による桜花賞の勝利は1985年の木藤隆行以来、25年ぶり。
2010年5月23日の第71回優駿牝馬に桜花賞に続きアパパネに騎乗。直線、横山典弘騎手騎乗のサンテミリオンとの叩きあいの末、横一線でゴール板を通過。およそ10分ほど写真判定を行った後に蛯名、横山のGI初となる同着優勝を飾る珍事を起こす。ゴール板を通過した際に、当時サンテミリオンに歩があったと思っていた蛯名は、同着確定後のインタビューで横山と笑顔で抱き合い、「負けなくてよかったです。」と語った。
2010年10月3日、凱旋門賞をナカヤマフェスタで2度目の2着。10月17日の第15回秋華賞をアパパネで勝利を収め、初の秋華賞勝利。加えてこの年の牝馬三冠を成し遂げる。なおアパパネは史上3頭目となる牝馬三冠馬となる。その活躍が認められ、東京競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞した。この賞の特別賞には過去に野平祐二、サンデーサイレンス、岡部幸雄、横山典弘が受賞しているのだが、野平祐二と岡部幸雄は引退した年、サンデーサイレンスは亡くなった年にそれぞれ選出されているため、現役での特別賞への選出は史上2人目である。